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風と緑とあじさいと。―Vayu, Vana, Ajisai ca―

あじさい寺の非公式ブログです。

ハンカチ

 

こんにちは。

 

本日は、7月7日です。

 

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天の川風…

 

 

野僧事ですが、最近読んだ「アニメの詩人 ノルシュテイン」という本の中に、

 

ロシア未来派の詩人、ウラジーミル・マヤコフスキーさんという方が載っておりました。

 

この方は、4月14日が命日だそうで、勝手に親近感を抱いているのですが、

 

実はこのマヤコフスキーさんのお誕生日が、ユリウス暦の7月7日なのだそうです。

 

マヤコフスキーさん、お誕生日おめでとうございます。!

 

7月7日生まれ、4月14日お別れ、

という組み合わせ、野僧的には嬉しくて、なんだか勝手にご縁を感じてしまいますね。

 

「背骨のフルート」という詩をぜひ読んでみたいなと思いました。

「ズボンをはいた雲」も気になりますね。

 

 

さて、前置きが長くなってしまいましたが、

本日は7月7日、七夕の日なので、なんと恋についてのお話です。

 

野僧はよく、仏像を見ながら

 

ゴータマ・シッダールタさんに恋をしてしまった人は、それはそれは大変だっただろうな…

 

と、色々勝手に想像しては、

 

ひえええええええ

 

と思っている人です。

 

ゴータマ・シッダールタさんとは、お釈迦様になる前の、お名前です。

 

前にピッパラ樹回で書きましたが、

ゴータマさんは、29歳で出家されています。

 

野僧の個人的な妄想のお話ですが、

自分で出家したいと仰る方は、かなりの苦しみを抱えていらっしゃるのではないかと思うのです。

 

それで、それはその人個人の悩みではなくて、

輪廻転生だったり、深い欲望だったり、抗えない死だったり、

人間として生まれてしまったことに

悩んでいらっしゃるのだと思います。

 

また、

世の中の不条理や、

誰も悪くないのに、皆が苦しんでいるという状況を前にして

深く悲しみ、心を痛めていらっしゃったのではないかなと思います。

 

そういう悩みは、

自分が相談にのったり、話を聞いたりして、解決できるものではなくて

その人自身が、苦しみと向き合うしかない、

ということで、

 

もうどうしようもないのだと思います。

 

この、好きな人が苦しんでいるのを前にした時の

無力感と、孤独を

どうしてたんだろう?

というのが、いつもこの手の話を空想するときに考えていることでございます。

 

それで、

自分は、目の前にいるたったひとりの、かけがえのない人、のことが好きであるのに

その人が解脱しちゃったら寂しいだろうなぁー

と思いました。

 

なぜ寂しいかと言いますと、

解脱した方の目、お釈迦様の目

というのは、「め。」の回でも書きましたが

 

海みたいな目で、

静かで、穏やかなのですが、

 

とても遠くを見ている気がするのでございます。

 

解脱する前のその人自身が、そこにいるのではなく、

もう何者でもない人

自分を捨てた人

がそこにいるような感じがして

 

その、「捨てられた人」を好きだった人は、

寂しいだろうなぁ

ということです。

 

その人が、苦しみから解放されたなら、それは嬉しいけれど、

もう昔のあの人はいなくなってしまった…

と思ってしまいそうですし、

 

目が合っているはずなのに、

ねえ、どこ見てるの?

とも思ってしまいそうです。

 

わかりませんが。

 

 

さて、そんなこんなで、色々考えましたが、

これは相手に恋をしていた場合の、お話でした。

 

それで、最近少し思ったのは

恋をしている時は、相手のことで頭がいっぱいになりがちです。

 

でも、ふと冷静になって自分のことを振り返ってみると

そうした人間として生まれてしまったことへの苦しみ、悩みなどは

自分も持ち得る、というか

持っている場合もあると思います。

 

それで、相手のことを好きかどうか、ということは置いておいて、

 

自分もゴータマさんと同じように苦しんでいる時、

苦しんでいるゴータマさんを見て

 

ああ、ゴータマさんも、苦しんでいるんだ。

苦しみがあるのは、誰でも同じなんだ。

 

というように、

苦しんでいる自分を肯定してもらえる、

ということもあるのかなと思いました。

 

これは、苦しみが救いに変わる…というか、

その人の存在によって、深いところで励まされる

ということもあるのかなと思いました。

 

まあ、

その人のことを救いたいだとか、

その人のために何かしたいだとか、

そういう思いも、

自我であり、執着であり、それらに捉われてしまっているということで

 

そういった「相手のために何かしたい」という気持ちよりも、

 

「そうですよね、苦しいですよね。自分も苦しいです。」

 

と、気づいて、受け止めるところで

一度立ち止まるのが、

 

ここでは良いのかな………………………

 

と、思いました。

 

 

となると、

 

ただ、苦しみがそこに二つあるだけ。

 

ということになってしまって、

 

なんだか、書きながらやっぱりちょっと

寂しくなってきましたし、

 

野僧は冷たい人である気もしますが

 

自分の苦しみときちんと向き合うことにも

何かしらの意味があって、どこかでそれに励まされている人もいるかもしれない

 

と思っても良いのかな…

 

という、個人的な、お話でした。

 

また、やっぱりそういう

実存的な苦しみを救うのが

宗教の役割ではないか

とおっしゃっている方がいて、

 

なるほど………

 

と思ったのでした………。

 

 

そして、改めてちょっと調べてみたところ

実際にゴータマ・シッダールタさんも出家される前に奥様とお子さんがいらっしゃったそうです。

 

しかも、その奥様はヤソーダラーさんというそうで、

野僧はまた勝手に親近感を、抱きました。

 

ゴータマさんが遠くへ行ってしまって、悲しみにくれるヤソーさんに

そっとハンカチを渡すことくらいしか

野僧にはできないと思います。

 

無念です。

 

でも、ヤソーダラーさんはめちゃくちゃ美人なのだそうで、

流れる涙もきっと美しいのでしょうね。

 

き、綺麗な涙だなぁ……

 

と、隣で思ってしまいそうですし

 

野僧の汚いハンカチをお渡しするのもちょっと憚られる気がしました。

 

 

ということで、

本日のお話はこんな感じの

 

ちょっと寂しい、恋のお話でした。

 

でも、野僧の手元には今、「紫の夜を越えて」が届きましたので、

寂しくないです。笑

 

ありがとうございます。!! 

 

 皆さまも、素敵な七夕をお過ごしください。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

合掌。

 

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