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風と緑とあじさいと。―Vayu, Vana, Ajisai ca―

あじさい寺の非公式ブログです。

枯れはじめまして

 

こんにちは。

 

本日は、久しぶりの滑り込み更新となってしまいました。

 

だだだだだだだっ

と走ってきて、土煙の中でスライディングした気分です。

 

靴の中に砂が入りました。

 

さて、先日は、しとしとと雨が降っておりました。

 

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しとしと雨

 

こんな日には、紫陽花の花々を見てぼーっとしながら、

真夏の通り雨」という曲を聞くことが多いです。

 

こちらは、

雨にぬれても美しい紫陽花たちが

羨ましくなるような一曲です。

 

素敵ですね。

 

 早いもので、7月も下旬となって参りましたが、

先日の7月17日は

 

野僧のお友達、サオソ氏と、歌手のコトリンゴさんの、お誕生日でした。

おめでとうございます!

 

真夏の通り雨」のあとは、

コトリンゴさんの「タンポポ」という曲を聞こうと思いました。

 

紫陽花たちは、一見綺麗に咲いておりますが、

よく見るとほとんどが色落ちしております。

 

早いですね~

 

こんなに早かったっけ…

と、しみじみしております。

 

紫陽花の花が咲いているシーズンは、どうしてもそわそわしてしまいます。

 

やっぱり、彼らが想像以上に早いペースで茶色くなってしまうので、

 

「早く、早く。紫陽花の花の色が変わらないうちに。」

 

という何かわかりませんが誰かから急かされているような、感じがします。

 

特に何もないはずだけど、

何かやり忘れていることがあるような、

 

これはなんとなく、砂時計を見ている感覚に近いような、気がしました。

 

砂時計も紫陽花も、

普段はあまり自覚していない時の流れを生で見ることになるので、

 

そわそわそわそわしますね。

 

砂時計というのは、あれは時の流れというか、重力の問題なのでしょうか?

 

面白い仕組みです。

 

 

さて、茶色くなっている紫陽花を見ると、

どうしても「早いなぁ、寂しいなぁ、」と思ってしまいますが、

これもきっと、ケロン(戯論)だろうなあと思うようになりました。

 

そのため、

「ただ、紫陽花が枯れ始めているだけ。」

という事実だけを受け止めて、それを

「寂しいなぁ、」という感情と結びつけないようにしよう

という訓練を、一人で勝手に行っています。

 

そう考えると、

紫陽花があるからこそ、心の訓練ができるわけで、

何となく彼らも野僧の精神トレーナーみたいな感じなのかな?と思います。

 

となると、

堂々と枯れていく彼らを見ると、

「お前、これでも心の安寧を保てるか?」

というように、ちょっと煽られてる?試されてる?ような気分にもなりますね。

 

人間に気を遣って、こっそり枯れてくれよ。

と、思うような、思わないような、そんな日曜日です。

 

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枯れはじめまして



でも時々、枯れ方すらオシャレな紫陽花さんもいらっしゃいます。

 

やっぱり、枯れ方もまたそれぞれで違っていて、いろいろな枯れ方があって、面白いです。

 

青かった「がく」が段々と白っぽくなっていき、そこに茶色い斑点が出てくるタイプ

「がく」がそのまま段々茶色くなっていくタイプ

いろいろとチリジリになっていくタイプ

などなど、色々いらっしゃいますが、

 

こちらの紫陽花↓は、色が綺麗に変わる?というか、段々と赤くなっていくという、

枯れているのか、大人になっているのか、

お洒落ですね…。

 

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咲いているところ

 

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枯れているところ

 

 

枯れ方ということで、去り際について、少し調べてみたところ

「名誉欲」という言葉がありました。

 

こちらは、仏教で説かれている五欲のうちのひとつで、

名誉に対する欲望、優れていると思われたい、認められたい、といった欲望です。

 

それで、枯れ際、去り際さえも美しくありたいというのもまた、

「名誉欲」に入るのではないか、とのことでした。

 

なるほど………

 

たしかに、美しく咲いたからには、去り際まで美しくありたいと

思ってしまうような気がします。

 

やっぱり、一度「美」を手に入れると、

どこまでもいつまでも、もっと、もっと、となってしまうものなのでしょうか。

 

「美」への欲望というのは、

植物もまた、はかり知れないものを持っているのかもしれません。

 

虫がかかってますからね……!

 

 

まあでも、野僧は枯れた紫陽花の方が好きなタイプ、

というか、安心して、ゆっくり眺めていられるので、

 

これからの季節を楽しみにしております。

  

また、枯れている紫陽花を見た時に、なぜ寂しいと思ってしまうのか、

ということを考えると、

美しかった頃の彼らを知っているから、というか、青々としている彼らが脳裏に焼き付いているから

ではないかと思いました。

 

その像もまた、ケロンであって、

今、この瞬間のことだけを考えて、目の前にいる紫陽花ちゃんを受け入れると

まるで初めて出会ったような感動を持つこともできるのではないかなと思います。

 

まだまだ、心の訓練が足りないなぁー

と、細々と思ったのでした。

 

ということで、本日は紫陽花のお話でした。

 

つらつらと、思ったことをそのまま書く方式で書いてみましたが、

 

過ぎ行く紫陽花の季節にサヨナラを言うことができて

良かったです。!

 

本年も、大変お世話になりました。

ありがとうございました。!

 

 

最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。

 

合掌。