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風と緑とあじさいと。―Vayu, Vana, Ajisai ca―

あじさい寺の非公式ブログです。

ひっそり。

 

こんにちは。

 

本日は、野僧がいいなと思った、お坊さんのお名前特集パート2です。

 

以前、「枝豆和尚」の回でご紹介して、また書きたいと言いつつ、昨年は飛ばせなかったので、

 

今飛ばしたいと思います。

 

今回もまた、不思議なお名前、面白いお名前がたくさんありました!

 

まず一つ目は、

調雲集さん

です。

 

この方は、江戸時代後期、明治時代の真言宗の学僧さんです。

「学僧」とは、

① 学徳のそなわった僧。学問に長じた僧侶。② 修学中の僧。学問を志している僧侶。

だそうです。

 

「調」という字をお名前に入れているところに、

学問に対する貪欲な姿勢が伺えますね。

 

個人的には、お名前をパッと見て、

雲を調べて、画集にしてたのかな?ということで、とてもいいなと思って、選びました。

雲は、毎日の空を彩ってくださる、有り難いお方です。

見ていて飽きないですし、なかなかのエンターテイナーだと思います。

 

調雲集さんは、雲の名前に詳しそうですし、スケッチも上手そうです。

ある日、畑仕事をしていたら、犂に何かが引っかかって、

土を掘り起こしてみると

調雲集さんのスケッチ帳だった。

なんてことが起きないかなーと、思いました。

 

でも、禅宗では修行僧の皆さんを一般的に雲水と呼ぶそうです。

「雲」に対するイメージも、宗派によって違うのでしょうか?

この一文字に、何かしらの仏教的な意味があるとすると

調雲集さんも、実はもっと深い、有り難いお名前なのかもしれません。

 

 

蝶夢さん

 

なんだかお洒落なお名前です。

野僧的には、このお名前は結構意外で、こういう方も、いらっしゃるんだなぁー

と、思いました。

 

やっぱり、仏門に入るというのはなかなか覚悟のいることで、

あからさまに燃えているわけではないかもしれませんが、

心の中では、

ゴゴゴゴゴゴゴ

と濁流が渦巻いていて、青い炎があがっているようなイメージ、

金剛力士像みたいなイメージがあったので、

蝶夢さんは、どのような思いがあって、このお名前を名乗っていたのだろうかと

とても気になりました。

 

この方は、江戸中・後期の俳人で、浄土宗のお坊さんだそうです。

俳諧に親しみ、松尾芭蕉の作風を慕って…」という記述がありました。

俳諧がお好きなんですね~!

 

野僧は結構、蝶に対して不穏なイメージを持ってしまっていますが、

 

(なぜか。なんでだっけ………と、真面目に考えてみた所、あれかな………?と思ったのが、漫画「金田一少年の事件簿」でした!あれは結構衝撃的でしたね。)

 

蝶夢さんは、純粋に、蝶に憧れていたのかもしれないですね。

 

可愛らしいですし、飛べたら羨ましいですし、ご飯の蜜も美味しそうです。

 

蝶みたいに生きられたらいいのになと思いつつ、

今生ではそれは叶わない。ひとつの夢なのである。

と思っていたのかもしれません。

 

あとは、

蝶道と、仏道をかけた?というのも考えられるかな…と思いました。

 

蝶は、周りの木々に合わせて飛ぶ、その都度その都度、決められた蝶道を行くということで、

人間も、周りの人びとからいろいろな影響を受けて、導かれながら、ちょっとずつちょっとずつ自分の道を歩んでいく生き物なのかもしれない

みたいな感じです。

そして、「人生は単なるから騒ぎ」とか、「浮世は夢」みたいな感じで、

でも結局は、どの道も夢みたいに、儚いものなんだけどね。

ということでしょうか。

 

あとは、

蝶が飛びながら飛ばしているあのキラキラ…(鱗粉(りんぷん)というそうです)

を浴びると、夢が見れるとか

そういうファンタージエンな感じもありそうですし、

 

蝶と、夢という言葉の組み合わせの

可能性は無限大だなと思いました。

 

 

最後に、

心寂さん。

 

この方は、平安後期・鎌倉前期の浄土宗の僧だそうです。

とってもシンプルな、お名前ですね。

 

なんだか、こういうお名前を名乗るほど、心が寂しかったのかな………

 

と思うと、

 

思わずお饅頭と、ほうじ茶をご馳走したくなってしまいますが、

それもきっと、野僧の自己満足なんだろうなぁと思っては、

こちらも勝手に寂しくなったり、

 

たとえばパートナーさんが亡くなって、そこから仏門に入られたとか

そういう感じなのかな……

 

と、思ったりしていました。

 

なんですが、

「寂」

という字について調べてみたところ、

1.仏語。仏道の修行により、生死を超越した悟りの境地に入ること。

1.2僧が死んだことを表す語。年月日の下に付けて用いる。「明治九年―」

2.まったく音がしないさま。静まりかえっているさま。ひっそり。

 

と、書いてありました…!

 

「寂」=寂しいというわけではないんですね。

詫び寂びとか、静寂とか、ありましたね…

 

仏教用語で、「寂然(じゃくねん)」という言葉もあるそうです。

 

さて、そう考えると、

心寂さんは、

生死を超越した悟りの境地に入れるような、心を持っていらっしゃるということで、

 

実はめちゃくちゃ

エリート僧なのではないでしょうか。

 

すんっ

としている、清らかな方なのではないかとお見受けしました。

 

かっこいいですね。

 

「道心堅く、世俗を厭い河内讃良で念仏に専念した」

と、書いてありましたので、真面目なお坊さんだったんですね…。

 

お饅頭と、ほうじ茶なんて、

要らなさそうですね………。

 

ひとまず、

心が寂しい、という訳ではなかったかもしれないということで、

野僧的には安堵いたしました。

 

でも、安堵しました、と言って、

それはやっぱり、野僧が勝手に

寂しい思いをしている人がいなければいいな

と思っているからで、

それはただの理想論であり、

もしかしたら傲慢で、エゴでもあるのかもしれません。

 

改めて調べてみると、仏教では、

人間はいつだって孤独なのである

と、されているそうです。

 

それで、その理由は、

「独生独死 独去独来(どくしょうどくし どっこどくらい)」(大無量寿経

と書いてありました。

 

これは、

「独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る(きたる)」

という意味で、

 

人生が寂しいのは、

独りで生まれて、独りで死に、

独りで来て、独りで去っていく

ということに原因があるのだそうです。

 

なるほど。。。

 

でも、

みんな寂しいものなんだなぁ……

と思いつつ、

寂しいからこそ、人にやさしくなれる

というのも、あるだろうなぁ

と思いました。

 

心寂さんに差し上げようと思ったお饅頭と、ほうじ茶は、

たぶん自分で食べることになると思いますけれど、

野僧的には、こう、お部屋の中で一人、修行していらっしゃる心寂さんを拝見して、

「あっそうか、なるほどね………。じゃあこのお饅頭と、ほうじ茶は要らなさそうね………。

よいしょっと。(縁側の端っこに座る)

いただきます。(合掌)

モグモグ。うん、美味い。

あぁ今夜は満月だ………。

ズズズズズ………。」

という感じで、

野僧の無駄な気遣いは、桜の花びらと散りましたけど、

お部屋の外で月を見ながら、お饅頭と、ほうじ茶を一人嗜む時間も、

それはそれで楽しめちゃうタイプです。

(だから何だという感じですが。)

 

はい。

 

ということで、たらたらと書いていたら、またタ行までしか進みませんでしたが、

今回もいろいろなお名前があって、面白かったです。

 

個人的には、

「蝶夢」さんのように、自分の好きなものから影響を受けて

名乗る名前も素敵だなと思いました。

 

あとは、前回の「月船深海」さんのように、

一言でパッと情景やイメージが浮かぶシリーズでは、

戦国時代の曹洞宗の「翅天鷲翔(してんじゅしょう)」というお坊さんが、「ゲド戦記」みたいだなという感じで、こちらも色々ありました。

 

野僧だったら、

熱風……熱り(ほとぼり)……熱り蟲(ほとぼりむし)……?

風葉小道(かざはこのみち……?)

伽於那趾(カオナシ

とか、いいなと思いましたので、

 

空豆和尚と要相談です。

 

あと、翅天鷲翔さん、

チラッと見て、選びましたが、

「翅」というのは、昆虫のはねという意味だそうです。

つまり、翅天鷲翔さん、

昆虫のはねで、鷲のように天を翔けたい

ということでしょうか。!!

ひや~素敵です!!

駿さんみたいですね。

もうきっとジブリが好きなんでしょうね。

素敵です。(笑)

 

これ、

鷲のように天を翔けたいという大志を抱きつつ、

自分の羽の小ささも、きちんと受け入れているところが、

謙虚で素敵だなと思いました。

好きです。仲良くなりたいです。(勝手に)

もしかしたら、

鷲のように空を飛べる未来は来ないのかもしれませんが、

いいな~と、空を仰ぐ翅天鷲翔さんの隣で

梅おにぎりを食べたい気分です。

 

ということで、

本日は野僧が個人的にいいなと思ったお坊さんのお名前について書きました。

 

最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。

 

合掌。

 

お饅頭と、ほうじ茶の写真はありませんでしたが、桜餅と、緑茶の写真ならありました。
こちらは、「綿」と書いてある、不思議な湯吞み…ではなく、「麻綿原」と書いてある、お寺の湯吞みです。🍵