こんにちは。
本日もまた、『葉っぱをひろうと』について振り返りたいと思います。
よろしくお願いいたします。
さて、今回のお話で大きく学んだことは2つあります。
1つ目は、『りんご。』の時に頂いたアドバイスで、「直接言うのではなくて、描写で描く」ということです。
こちらのアドバイスを頂いて以降、『りんご。』の最初の部分を書き直して、そしたらとっても良くなった気がしたので、「描写で描くって、すごい……!」と一人感動していました。
なので、今回もまた、「これは説明になっているから、直接言うのではなくて、もうちょっと描写で描く感じにして……。」と書きながら訂正したところがいくつかございます。
クスノキの上で、寝ているテラちゃんと一緒に座っているところで、
最初は「あの雲が止まらないでいてくれたらな」とセリフで言っていましたが、
「すやすやと眠るテラの寝息を聞きながら、少しずつ進んでいく雲をぼんやりと眺めていた」にしてみたり、
最後テラちゃんと別れたあと、「涙が流れてきた」ではなくて、「遠くの朱い雲が、微かにぼやけて見えてくる」にしてみたり、しました。
この描写で描くというのは、これからも意識していけたらいいなと思ったのと、これはもっと本を読んで「描写で描く」というのはどういうことなのか、どんな意味があるのか、もう少し理解したほうが良いのではないかなと思います。
2つ目は、物語全体の構成についてです。
これは、『アルプスの少女ハイジ』から学んだことでして、
一瞬一瞬の描写も大事だけれど、物語全体を見た時の構成ってかなり大事なんだなと思いました。
ハイジでも、スイス編→フランクフルト編→スイス編と、大まかに分けるとそうなっておりますが、一番最初のスイス編を知っているからこそ、フランクフルト編の大変さに心から共感でき、そして、その後スイスに戻ってきたときに、知ってる景色が全然違って見えてくるということも、大きく感じました。
そう考えると、『マルクルさんの時計修理』でモモちゃんに「ルイーズが最初から悟りすぎ」(笑)と言われたことにも改めて納得できますし、
今回もきっと、「旅人はなぜそんなにボロボロなのか」というところをきちんと描いた方がいいのではないかなと思います。
実は最初、フィリーちゃんの場面で、
「旅人はこれまで、周りの世界に心を閉ざして生きてきた。彼を取り囲む世界で聞こえてくる言葉は、どれも心なく、冷淡で、吐き捨てるように投げつけられたそれらは、人の心を傷つけるものばかりだったからだ。
そうして彼はいつのまにか、仮の言葉だけを頼りに、その身を守ろうと必死になって生きてきた。」
という一文を入れていました。
が、やっぱりこれは、一文で書くのではなくて、最初にもっとちゃんと描いた方がいいんだろうなと思って、消しました。
というのも、これを『アルプスの少女ハイジ』に当てて考えると、
最初のスイス編をあまりきちんと描かずにフランクフルト編に突入し、
「山での生活を心から楽しんでいたハイジにとって、周りにヨーゼフもヤギたちもいない、大都会フランクフルトでの生活は、息苦しくてたまりませんでした。」
と書いたり、
フランクフルト編をあまり描かずに、2度目のスイス編に突入し、
「毎日怒鳴られ、山を見るために高いところを探して街を走り回っても、一度も山を見ることのできなかったハイジにとって、今目の前に広がるアルプスの山々は、どれほど美しく見えたでしょう。」
と書いたり、
そうやってたった一行で状況を説明しただけで、次の展開に入っていくようなもの
なのではないかなと思ったからでございます。
なので、きちんとその場面を描いてから次の展開に持っていくのと、ただ一文で説明するだけなのとでは、全然違うんだなぁ…と学びました。
心ない言葉でボロボロに傷つけられて、言葉にならない「コトバ」をきちんと感じることすら、怖くてできない、感情をもう持っていたくないくらいへとへとになっていく部分を書いた方が、
フィリーちゃんの言葉に救われる場面が、もっと活きてくるのかもしれません。
そうすることで、より深く共感することができるのではないかなと思います。
しかし!
その主人公がボロボロになっていく過程を描く元気?勇気?体力?が、今の野僧にはありません…というよりも、まだ怖くてできないというのが、現状です。
でも、「物語」の力があることを思うと、きちんとそれを描くことによってこそ、見えてくる景色があるというか、自分の考えもしなかったところまで、「物語」が連れて行ってくれる、のだとも思います。
なので、最初の導入部分からきっともっとちゃんと丁寧に書いた方が良いんだろうな…………。
というのが、このお話を書いてみての一番の感想かもしれません。(しみじみ。)
さて、話は変わりまして、
今回は、物語の途中で手書きの文字を入れるというのも新しい試みの一つです。
なので、その時のための「みのフォント」も作りたいなと思います。
今回の字は、テラちゃんが、自分と同じくらいの大きさの鉛筆を持って、頑張ってぐりぐり書いたというイメージの字になりますが、大分野僧本人のフォントにも近いような気がします。(笑)
個人的には、もうちょっと字綺麗になりたいなと思いますが、このちょっと頑張って書いている風の「みのフォント」もいつでも書けるようにしておこう……。と思いました。
ということで、突然ですが、フォントクイズです!
それぞれどなたのフォントでしょうか。

答え:①草野大先生、②宮﨑駿さん、③わたくし、④ジブリのエンドロールの字。「う」と「え」は見つけられませんでした。
ジブリのエンドロールの手書きの文字は、とっても好きで、学生時代はよく真似をしておりました。
「う」と「え」も、もうちょっと頑張って探してみたいと思います。(笑)
さて、ということで、『葉っぱをひろうと』について、つらつらと振り返って参りましたが、
今回のお話は本当に、疲れたときのただの空想ごっこ、現実逃避したくて書き始めたものになります。
「この世界で生きるのがしんどいと思ったときに、違う世界を描きたくなる」
というのが野僧の創作の原点ではないかなと思いました。
そして、旅人がボロボロになっていく過程を描いていないからこそ、傷を癒すところからお話が始まるので、野僧も時々、このお話の中で休むことができます。
そんな感じで、ひと休みできるようなお話を、
雨宿りできるようなお話を作れたらいいなと思いました。
雨が降ってるときに傘をさしてあげるというのは、何だか恐縮で、野僧の自我かもしれませんし、共倒れしない自信も、ありません。
なので、雨宿りできるところを作っておいて、
「ここにあるから、雨降ってる時でも晴れてる時でも、いつでも休んでね。」
というのが良いなと思います。
勿論、その雨宿りを誰が作ったかというのは、生きている人は皆知りません。
そして、何知らぬ顔でしれっと隣で野僧も一緒に休んで、一緒にお団子を食べていると思います。🍡

野僧的には、こちらのお話は点数をつけるまでもなくまだまだ「荒削りで、未完成」だとも思います。
葉っぱを擦り合わせて、お餅を混ぜて、こねこねしたよもぎ団子みたいなお話です。
まだこねこねが全然足りないかもしれないという思いもあるので、
皆さんからご指導いただいた上で、もうちょっとこねこねできたらいいなと思っています。(特に終わりの方)
そうして、未完成なものでもいいから、よもぎ団子を作っていって、自分の糧としていきたいなと思うのでした。
それでは、
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。
合掌。

(栗、玉ねぎ、生クリーム、牛乳、コンソメ、バター、塩コショウ、パセリ)

(栗、生クリーム、牛乳、バター)