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風と緑とあじさいと。―Vayu, Vana, Ajisai ca―

あじさい寺の非公式ブログです。

優しさ

 

こんにちは。

 

本日は、優しさについてです。

 

野僧事ですが、先日、「野僧君は、優しすぎるよ。」と、少し怒られてしまったことがありました。

 

(あ、『禁じられた約束』のボブ君と同じ状況ではないか?と、今更一人盛り上がっているオタクです。)

 

そこで、優しさとは何だろうかと、ぼんやりと考えることが多いので、何となくまとめてみようと思いました。

 

 

野僧としては、正直、人に優しくしたいと常々思っている訳ではない気がしていて、

 

この気持ちは、あえて言語化するならば、

 

皆いつかは必ずいなくなってしまうというのが、悲しいから、優しくなっちゃう

 

という、

 

野僧の優しさの根底には、「悲しみ」と「恐怖」があるように思いました。

 

それに、仮に誰かと仲違いしたとして、その後謝る機会や仲直りする機会があるかどうかわからない、明日じゃもう遅いかもしれない、と思ったら、

 

その後悔を背負って生きていく覚悟と勇気がない、ということで、保身に走っているところも、あるだろうなぁ………。と思いました。

 

 

そう考えると、野僧が持っている優しさの根底には、「無関心」というとっても冷たいものがある気がして、だからこそこのままずっと、人にただただ優しくし続けていていいのだろうか?と、ふと思ったのでした。

 

 

さて、ここまでは、最近見つけました、2~3年前に書いた下書きのお話でした。

(とつぜん。笑)

 

それで今、この葉っぱを振り返って、改めて「優しさ」について考えてみると、

 

「悲しみ」と「恐怖」も、無いとは言わないけど、もうちょっと温かい感情も、持っている気がするなー。というのが、野僧の意見です。

 

さて、そこで困った時の、空豆和尚相談室によると、

仏教では、優しさというのは、「慈しみ」と「憐れみ」と、2つの感情があるとされているそうです。

 

慈しみとは、「楽しみを人に与えること」で、

 

憐れみとは、「他者の苦しみを救おうとすること」、なのだそうです。

 

なるほど………。

 

何だか、楽しみを人に与えることである、「慈しみ」も、「優しさ」の部類に入るんですね。

 

それから、

はるか雲の上の方にいらっしゃる方々に時々お会いしたり、

仏教界の皆様の本をちょこちょこ拝読したり、していると、

「優しさ」とはちょっと違う、これは何なんだろうか。と思うことが時々ありますが、

 

「肯定すること」や「受け止めること」って、大事だなと思いました。

 

たとえば、仏様の仏像の前にひとりでちょこんと座って、

ぼーーーっと

考え事をすることも多い野僧でございますが、

 

それこそ、仏様は、

野僧が如何にへなちょこで、怠惰で、もうどうしようもない人間であったとしても、

見捨てないでいてくれそうというか、最後の砦というか、

そこには、「優しい」という言葉では表しきれないような、何かがあるような気がします。

 

何をしても、受け止めてくれる人がいるというのは、こんなにも力になるんだなと思ったら、

「利他とは、器である。」という風に仰っていた人の言葉の意味も、何となく分かるような気がしました。

 

ということで、

この「優しい」という言葉で表しきれない何かについては、

もうちょっといろいろ学んで、何かいい言葉が見つかったら、また考えようと思いました。

 

ありがとうございました。(しみじみ。)

 

 

さて、そこで色々考えていると、そもそも、なんで人偏に憂いと書いて、「優しい」となるのか、それがややこしいんじゃないかなと思って、語源について、調べてみました。

 

すると、

 

やせ細る、みすぼらしい状態になる、という意味の「瘦(や)す」という言葉が語源にあたるそうでして、

「みすぼらしい」→「恥ずかしい」へと意味が広がっていき、

恥ずかしがる様子が慎み深いとされ、控えめな態度を表すようになり、

それが転じて、温和な性格を表すようになった

 

と、書いてありました。

(参考文献:稲垣『「やさしい」の意外な語源 万葉集の和歌を例に解説』2020年12月13日、中日新聞

 

なるほど。。。

 

英語だと、優しいは「kind」ですが、こちらは、「種類、種族」といった意味があります。

同じ種族だからこそ、「親しみのある、優しい」という感じの意味になるそうです。

あとkindには「自然本来の」という意味もあるそうなので、キリスト教性善説からきているというお話も、ありました。

 

 

でも、自分でも何故だかはよくわかりませんが、これでもかというくらい、誰かに優しくしたくなる時が、あるんですね…。

 

なんですが、その感情にはちょっとした暴力性や自我も含まれているのではないかな~と、思っています。

 

相手の顔に綿飴を覆い被せ、窒息させるような感じでしょうか。

(ごめんなさい。)

 

もしかしたら却って相手を傷つけることもあるかもしれないですし、上下関係を作ってしまうこともあるかもしれない、と考えると、やっぱりちょっと、躊躇いが生じます。

 

そう考えると、やっぱり、

『思いがけず利他』の方が、好きですね。

 

この貝多羅葉も、野僧の意図しないところで、誰かに「利」がありますように、

と祈っております。

 

偶然ちゃん、よろしくです。🌸

 

 

それから、『禁じられた約束』には、全然、褒め言葉じゃないと書いてありましたし、

あの時も、全然褒め言葉ではなかったように思います。

 

でも、「そんなんじゃ生きていけないよ」という意味で、心配して言ってくれてたのかなとも思いましたので、

 

そんなお二人(『禁じられた約束』のおじさんと、ユージン)もまた、優しいなと思ったのでした。

 

ありがとうございました。

 

 

ということで、本日は優しさについて、考えてみました。

 

最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。

 

合掌。

 

 

ありがちな写真

 

ぴと。

 

先日、『優しいスピッ ツ』の上映会&トークショー&サイン会に行って参りました。✨
とっても可愛いサインをいただけて嬉しかったです…!ありがとうございまスた。☺︎

 

梅の花が咲きました。