こんばんは。
明日は十五夜でございます。
ということで先日は、久しぶりにお月見、兼、夜の音楽鑑賞会を行いました。
こむぎちゃんも誘いましたが、来なかったので今回はひとりです!
夜の風は少し冷たいですね。
今回は、「うめぼし」という曲を聞きましたが、
雲間から見える月がちょっとだけ欠けていて
欠けた月と、「うめぼし」と、そこに一人で座っている野僧、という状態に、
なんだか泣きそうでした。
でも、仮に月が満ちていても
すぐ近くにうめぼしがあっても
この寂しさは変わらないだろうなと思いました。
やっぱりこむぎちゃんが隣にいないと寂しいですね~。
というか、こむぎちゃんはなぜ来なかったのでしょうか。
眠かったのでしょうか。
お疲れ様です。!
この間は、野僧がご飯を食べているとき
野僧の右腕にちょこんと顔をのせて、
おねだりをしてきたのが可愛かったです。
魚は食べませんでした。
最近、こむぎちゃんはとても貫禄がでてきましたね。
以前は、
野僧くん、遊んで遊んでー
という感じでしたが、
今は、
おやおや、野僧殿。修行の具合はいかがですかな?
な感じになって参りました。
こちらとしても、
ははー、修行はボチボチでございます。
という感じです。
何度も経験していることではございますが、
一生の長さがそれぞれ違うのは、何ともいえない寂しさがありますね。
ちょっと切ない気持ちで
こむぎちゃんのことを思い出してしまいましたが、
今目の前にいる月も
同じような気持ちで野僧を見ているかもしれません。
そう考えると、月を生きるのもなかなか大変なのではないでしょうか。
さて、日蓮宗には、何かと月に関係するお話が登場しています。
前に、月天様のお話を書いたことがありましたが、
他にも、法華経の「薬王菩薩本事品第二十三」に関するお話がありました。
こちらには、
「衆星の中に月天子最も為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。
千万億種の諸経法の中において最も為れ照明なり。」
という記述があります。
これは、数ある星の中でも月天子(お月さま)が一番であるように、この法華経もまた、そのようである。千万億種ある諸経法の中において、最も世界を明るく照らしているのである。
というような意味だと思います。
この、日本の宗派を、夜の空を彩る月と、星々とに例えるというのは素敵ですね。
まあ、この宗は月、この宗は星、君なんかはまだまだだから空には見えないね。
みたいなことは、言い切れないんじゃないの⁇
と、思うような、思わないような、感じですが…
でも、このお話はまた別として、
最近は月の明るい日が多いですね。
月の光が明るいと、遠くの頂まで見えるのでとても感動しますが、
星を見るためには、暗闇が必要なので
たまにはちょっと、弱めであってほしいなと思います。
月の光に風邪を引いてもらいたい、
今日この頃でございます。
ということで、本日の月のお話はここまでです。
明日は満月でしょうか。楽しみです。
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。
合掌。