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風と緑とあじさいと。―Vayu, Vana, Ajisai ca―

あじさい寺の非公式ブログです。

ひょっとこ

 

 

こんにちは。

 

本日は、やっとこさ年末の振り返りの回です。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

それではまず、一句目。

 

ぽぽぽん。(竹が落ちる音)

 

ひょっとこの お面を持って しみじみと。

 

さて、この貝多羅葉も、始めてから数年が経ち、世界では、スピッ ツの『ひみつスタジオ』が発売され、スタジオジブ リの『君たちは どう生きるか』が公開され、

もう、この世界は100点満点だなと、思っています。(急に何の話)

 

それで、

もう書くことないや。と、本気で思いましたし、今でもそう思っています。

 

今でもそう思っているのに、なぜ、この葉っぱを続けているのかというのは、

何かちょっと不思議ですが、

書くのが好きだから、続けているんだろうなと思います。

 

ありがとうございます。

 

フフフ

 

数年間続けていると、それなりに葉っぱの量も増えて参りましたが、

過去の葉っぱは、ペラっとめくっていただくと、そこには深い深い、闇があるわけです。

 

それで、闇の引力に引っ張られそうになるので、あんまり読み返さないようにしておりましたが、最近は、大変だった思い出もうっすらと、雲がかかってきて、まっさらな気持ちで読み返すことができるようになってきたので、

たまーに、読み返しておりました。

 

過去の葉っぱを読んでいると、

やっぱりちょっと、「ギリギリ」な雰囲気があるというか、切羽詰まって、追い詰められているような感じ、それこそ、「そうしないではいられない」という状態で、書いていたような感じがするなと自分では思いました。

 

それから、当時は、とっても一生懸命書いていたつもりなのに、あんまり一生懸命書いているように見えないというか、🫥(←「見えない」という言葉の絵文字があることを今知りました。笑可愛いです。)どこかちょっと、抜けているところがあるというか、

 

文章の特徴として、そういうのがあるような気がしました。

 

それこそ、ひょっとこのお面をつけて、土壌掬いを踊ってるんだけど、お面の下では、涙を流しているような感じ……

 

ひょっとこのお面(涙つき)



 

2022年以降は、すっかり元気になって、勢いよく走り出した分、ポッケに入れておいたひょっとこのお面はポロッと落ちて、割れてしまったのでした。

ピキッと。



 

でも、このお面はきっとまたいつか必要になる時がくるかもしれないので、涙を拭いて、しっかり金箔で、つなぎ直しておこうと思います。

 

パチパチ。

 

金箔、のつもりです。笑

 

 

 

 

 

それから、

1人で文章を書いていると、やっぱりちょっと、寂しくなってくるところがあって、

孤独だよなぁー

と、常々思っておりました。

 

それに、野僧はまだまだ未熟なので、自分の中にある暴力性を、コントロールできず、

感情に任せて誰かを傷つけてしまいかねない、そういう危うさって、絶対あるなと思います。

 

なので、一人で文章を書き、それを公の場で発信するというのは、とってもリスキーなことなのではないかなと思いました。

 

あと、自分が何を書いているか、というのは、自分ではいまいちわからないものなんだなというか、野僧はきっと、よくわかってないところがあります。(たぶん)

 

なので、冷静に、客観的にこの文章を読んで、あぁそういうことは書かない方がいいよ?と、野僧の暴走を止めてくださる方が近くにいらっしゃったらなぁ…という、そんなわがままを抱いておりました。

 

さて、そういう昨年の反省もあって、

今年登場していただいたのが、

 

奥行きの話で紹介させていただきました、

総監督でした。

 

総監督(再登場!)

 

 

で、総監督が実際に働いてくださったかどうかは別として、

 

何かよろしくないことを書いてしまっても、

責任は全て総監督にあr…………

 

なんて、言いませんが、

あくまでも総監督の下で書いているんだというスタンスでいられたことによって、

もうちょっとゆるめに書こう………。と思いましたし、

「さびしくなかった」です。!

 

総監督、ありがとうございました!!

 

 

ということで、貝多羅葉の振り返りは以上となりますが、

暮らしの方は、今年から初めて、シャカイジンとなりまして、

 

どうやら野僧は、事務仕事というものが、破壊的に向いていないということが、

判明してしまいました。

 

それに、事務仕事に限らず、他の人が当たり前のようにできることも、

自分にはできないのかもしれないということを、何だか、しみじみと感じた一年でございました。

 

それから、野僧はいつも、

「そんなこと考えても仕方ないじゃん。明日死ぬかもしれないのにさ。」

と思っているタイプなのですが、

 

その昔、「明日」どころか、「次の瞬間」くらいまで追い込まれて、もうどうしたらいいかわからなくて、困ってしまったことがありました。

 

深い深い闇の中に堕ちて行ってしまいそうだったところを、

ユージン・モモちゃんにガシッと腕をつかまれて、

「明日死ぬかもしれないって思うのは良いと思うけど、それで享楽主義(快楽主義だったかな?)になっちゃうのは、良くないと思う」

と、言われ、

ハッとして、そりゃそうだ………。

と、思ったということがありました。

 

なので、「明日死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。」というふうに考えて、

この先も、それなりに長い時間が、残されていると仮定すると、

 

今生で、自分には何ができるのか、ということを、改めてもうちょっと、ちゃんと考えよう。

と、思いました。(今更)

 

それでやっぱり、家柄としては、出家とか、宗教者とか、そういう道かなー。と、ぼんやりと考えておりましたが、

先日、ユージン・サオソ氏のお勧めで行ってみた占いで、

「祖母の家がお寺なので、出家して、山川草木に囲まれて、詩とか児童文学とかを書きながら、ひっそりと暮らすような生活がしたいんですけど…」

と、素直に願望をお伝えしたら、

 

「宗教とか、占いとか、スピリチュアルな分野も勿論向いてるけど、でも、ちゃんと世俗的なところでも頑張れるものを持ってるよ。」

 

と、言っていただいたのが、野僧的にはとっても意外で、嬉しかったのでした。

 

ありがとうございました!

 

「世俗的なところって、どこですか………。」

とお伺いしたら、

「それは自分で考えなきゃ―。」

と、言われましたので、今考えています。

 

 

それからもう一つ、今年の大きなできごとといたしまして、

 

先日、病気療養中のユージンと、会う機会がありました。

 

そのユージンは、ジブリの最新作の話題から、野僧のことを思い出してくれたそうで、(ありがとう!)学生時代以来の、久しぶりの再会だったのでした。

 

話を聞いていて、今は元気そうに見えるけど、本当に大変だったんだな………

と思ったら、

生きていてくれてよかったなと、心から思いました。

 

なので、以前先生が仰っていた、

「doingよりも、beingの方が大事」

というのは、当たり前のことなんだなと、

改めて思いました。

 

ゲド戦記を翻訳された清水真砂子さんも、

〈人がただそこにあることを肯定することが大事なのでは。名を成さない、ごく普通の人が持っている温かさや豊かさを、みんな知っていますよね。〉

と、仰っていましたし、

 

「存在」というものが持っている力は大きいですね。

 

 

人はいつ、いなくなってしまうかわからないので、周りの人を大事にしよう……

と思いましたが、

 

そういえば、beingというのは、物理的にこの世に存在しているというだけではなくて、

心の中にbeingしているという場合も、きっと力になってくれると思うので、

 

時間的な制約は、あんまり関係ないのかなぁ………

 

なんて思ったりもしました。

 

 

ということで、貝多羅葉以外の振り返りは、以上となりますが、

 

本年もまた、大変お世話になり、誠にありがとうございました。

 

今でもちょこちょこと読んでくださっている砂漠の住人様には、

心から、感謝感謝です。

 

来年は、宇多田ヒカルさんのツアー(!✨)と、海外アニメーションでは、シルヴァン・ショメ監督の最新作などなど、楽しみなことがたくさんありますね。

 

ありがとうございます。☺️

 

 

さて、マイペースにタラタラ書いていたら、

総監督から圧力がかかりましたので、(↑笑)

 

最後に綺麗な写真を貼ってから、終わりにします!

 

いいお天気の日。

 

こむぎちゃんのベストショット。

 

こむぎちゃんのベストショットその2。可愛い………。

 

おばあちゃんにピッタリくっついて離れないクロちゃん

 

夏の夜、窓ガラスにへばりついていらっしゃった蛙君

 

季節外れのセミの抜け殻(in10月)

 

透明な葉っぱ。ではなく、ヤリイカの軟骨です。🦑

 

熱風。2023




それでは、

最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。

 

素敵な年末を、お過ごしください。🍃

 

 

合掌。